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世界ふしぎ発見!

1000回記念番組

オルドイニョ・レンガイ

2007年1月7日〜27日

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久しぶりにコーディネートの仕事が入る。ダルエスサラームにあるJATAツアーズからの紹介で、「世界ふしぎ発見!」がタンザニアで唯一の活火山オルドイニョ・レンガイ山の撮影をするとのこと。名前は何度も聞いていた山だが、一度も行ったことがない。だから行きたい、これだけの理由で引き受けた。

1、ロケハン

1月8日撮影本隊前に、ディレクターがタンザニアへ乗り込んできた。今度のディレクターはなかなかの美貌の持ち主で、一見すると旅行者と勘違いする。よくアフリカへやって来る、事情ありの女性一人旅風な。それを彼女は知ってか、知らずか、僕に前もってメールで写真を3枚送ってきてくれていたので、すれ違わずに済んだ。

今回の撮影で僕が一番気にしていたのは、道路だった。今年のタンザニアは雨量が半端ではない。しかも乾季の1月になっても、その激しさは衰えないで降り続いていた。この影響はサファリ車を直撃。公園内外の道はもちろん舗装されておらず、ドロドロになっている。そこでスタックする車が続出していた。そのスタックした車を助けようとする車までスタックする始末。今回の撮影は、そのドロドロ地帯を突っ切るコースなので、どうなることやら、頼むから雨を止んでくれと雨空を眺めていた。

ディレクターさんと二人で、ロケ地を下見する。しかし今回は見る場所が遠く山の頂上に。やはり登らないとダメなんだね、とは顔に出さずに、従順にディレクターについてどこまでも行く。

まずは言い訳からだが、今回の撮影準備は年末年始の旅行シーズンが入っていたため、全く進んでいなかった。レンガイ山登山のガイドも誰に頼んだらよいのか?という状態。しかしロケハンでレンガイ山に向けて走っていると、こちらへ向かってくる車が。この先の道情報を聞こうとすると、車に乗っていたのは、ブラさんというレンガイ山の有名なガイド。彼にコンタクトを取ろうと前から挑戦していたのだが、レンガイ麓は連絡方法が全くない。そっち方面へ行く人に言伝を頼んだりしていたが、返信なし。その彼にこんな所で出会うことが出来るとは、なんともラッキー。しっかりとガイドしてもらう約束を取り付けてくる。こんな感じで、ロケハンのお陰で何とか撮影までには、形が出来上がった。

 

2、ロケ本番スタート

レポーター、ディレクター、カメラマン、音声、アシスタントディレクターと僕の6人、車2台(撮影車と荷物車)とドライバー2人の計8人と2台の撮影が始まった。

まずはセレンゲティ国立公園。ここでの目的は、バルーンサファリの撮影。気球の上からセレンゲティ平原を、そしてふしぎ発見1000回放送記念の垂れ幕を撮るのだ。最初の案では、気球から垂れ幕を下げて、それを下から撮る予定でいたのだが、なんだかんだと色々あり結局は垂れ幕を地面に広げて、それを気球から撮影する形に落ち着いた。

朝4時に宿を出発。気球離陸地点に何とかスタックすることなく5時に到着できた。それから垂れ幕を広げる練習をして、気球離陸の6時半まで待機。撮影するチャンスは、離陸時と着陸時の2回。それ以外は気球がどこを飛ぶのか風任せで予想できない。離陸時は何とか無事に気球が垂れ幕の上を飛んでくれて成功。さあ着陸地点へ。これが大変。だいたいの場所が分かる程度なので、後は僕達が垂れ幕を持って、気球が通過するポイントへ走るしかない。気球のパイロットと無線で連絡を取りながら、垂れ幕を持って、サバンナを右往左往と大騒ぎ。ズボン・靴は泥まみれになりながら、垂れ幕を広げる。

気球からの垂れ幕撮影を終え、次はいよいよレンガイ山へ。と、このレンガイまでの道が一番の心配なところ。雨はここ数日降っていないので、道が乾いていることを祈りながら向かう。数箇所はスタックしたが、2台いるためチェーンで引っ張り合いながら辛うじて進む続ける。無事に日が暮れる前にレンガイ山麓の宿に到着。この日アルーシャからも、別働隊の車2台が到着していた。1台はダルエスサラーム大学の火山学者チーム。そしてもう一台はレンガイ登山用のテント・食材などを積んだ供給車+登山スタッフ(コックとそのアシスタントと言う事にしてあるが、実はいつも僕が一緒にキリマンジャロを登るガイド達。やはり気の許せる連中がいないと心配だった)

レンガイ登山の準備は、前日の夜から始まる。準備とは、ポーターを選抜すること。夕方からゾロゾロとマサイ達が僕達の泊まっている宿に集まりはじめた。それを4人のコック達と2人のドライバーが荷物に合わせて、人数を決めていく。決まった者の名前を連ねていくと、50人以上!予想以上の数に驚くが、しょうがない。そして次に仕事が、この大人数のポーターと荷物を登山開始地点まで車で運ぶ。宿から登山の開始地点まで車で約1時間の距離。3台の車がフル活動で夜中2時からピストン輸送開始。車はまた戻ってくるから、と言うのだが、マサイ達はこれを逃したら後がないように、我先にと車へ乗り込む。それを抑えようとするドライバーとの喧嘩寸前のようなやりとりが続く。それとマサイは車に慣れていないので、吐くやつが出てくる。ドライバーはこれでプッツン。これをなだめすかす僕、という光景だ。結局僕は一睡もすることなく、本隊の出発時間になる。登山前にクタクタだ。

やっと撮影隊、荷物とポーターが登山開始地点に集合。そして撮影にはつきものの、ポーターと一緒に歩く光景を撮影。しかしポーターはこれをとても嫌う。何故なら、重い荷物を運んでいるため(中には僕よりも軽い荷物運んでいるやつもいたけど)、なるべく自分達の早いペースで歩きたい。文句を言い続けるポーターを「あと少しだから」となだめ、「金やらないぞ!」と脅しながら僕達に後ろを着いてきてもらう。

レンガイ山登山は通常、夜中に出発して朝方に頂上に到着。朝日を眺め、頂上のクレーター内を散歩してから、下山する。これは昼間の殺人的な暑さを避けるためのようだ。しかし僕達は撮影ということもあり、明かりがほしいため出発は早朝にした。ある程度まで登ると日が出ても、山の陰に入っているため、暑くはなかった。しかしこれはこの日に下山しないから良かったためで、もしその日に下山となると太陽に焼かれてしまうだろう。

このレンガイ山、標高は2900mと高くないので、高山病の心配はない。と軽くみていたら、とんでもなく登山道が険しいのにマイッタ。険しいというより、整備されていないだけなのだろう。山の中間辺りは、狭い溝が道。そして頂上手前は、傾斜45度の岩を這っていく。マサイはこれまで落ちて死んだやつはいない、と言っていたが、いや必ずいるはずだと僕は確信していた。ちなみにマサイ(全員ではない)はこの岩を下る時、走って降りていくのだ。足が滑ったらどうするの?と聞くと「それまでさ」と。カッコイイのか、無謀なのか悩むところだ。

この険しい山を、レポーターの彼女は本当に頑張って登っていた。そしてディレクターは更に頑張って、心を鬼にして「もっとペースを上げて、レポーターが疲れている所がほしい」と天の声を張り上げていた。

だんだんと登るにつれて、硫黄の臭いが風に運ばれてくる。そして誰も落ちることなく、頂上に登りつめる。そしてレポーターは目の前に広がった光景を見て、愕然と立ちすくんでいた。言葉でこの光景を説明するのは難しい。それに僕はカメラを持っていないので、ここにその写真を置けないのが悔しい。それは どこかの惑星に降り立ったよう。コーン状に地面が盛り上がり、大きな火山口がポッカリ口を開けていて、周辺の無数の場所から煙が立ち昇り、硫黄の臭いが辺りに充満している。多分誰が見ても、とりあえずは立ち尽くすだろう光景だと思う。

ここで僕らは5日間のテント生活をするのである。そしてまずテント設営の基本は、場所選び。普通なら、雨水が溜まらないとか、倒れそうな木の横はやめるとか、トイレの近くは・・とかあるが、ここの場所選びのポイントは、硫黄の臭いを避けるため煙から距離のあるところ。人間用にテントを7張り。そしてダイニング・キッチン用とトイレ用に1張りづつ。ちょっとしたテント村の様子になってきた。

時々、一般の登山客もテントを張って、一泊していくことがある。僕は絶対にそっちの方が良いと思う。一日で上り下りするのは、キツイよ。僕達がテントを張っていた間にも、二人連れの登山者が一泊していった。ただ僕達のいる火山活動真っ最中のクレーター内ではなくて、もう一つある噴火活動は終わったクレーターへ行った。こっちは仕事だからね、体張らないと。

そして仕事をするには、体力です。食べて、しっかりと睡眠をとること。食べる方は、全く問題無し。このためにキリマンジャロガイド連中を連れてきたようなもの。その期待にしっかりと答えてくれ、山での食事は美味しくいただきました。火山学者の先生なんて、降りる時に「ここの食事はファイブスターよ!」と大喜びでした。お腹がふくれたら、後はしっかりと寝ること。と、ここで予想外の邪魔が入ってしまいました。まずは時々吹き付ける強風。ここは山の頂上だぞ〜、と風に教えられていた。それとお腹の底に響いてくるドドド〜という地鳴りのような、溶岩の叫び。ここは活火山の火山口のすぐ横だぞ〜、と言われなくとも分かっていた。しかしこれらの邪魔者も慣れてくれば、心地良い子守歌のようなもの。テントが吹き飛べばその時、火山が噴火すればそれもその時だ。

山頂生活2日目は朝から晩までガス・ガス・ガスで、撮影はゼロでした。

そして3日目からは絶好調の晴天続き。頂上のクレーター内の景色も凄いが、山頂からの見る周りの景色もまだこれ雄大で素晴らしい。ンゴロンゴロ保護区のある台地が麓まで迫ってきて、その反対側にはフラミンゴの繁殖地として有名なナトロン湖と周辺の広がるサバンナ。そして天気の良い日には、アフリカ大陸最高峰のキリマンジャロの氷河までしっかりと見える。

またいつガスで撮影出来なくなるかもしれないと、テープを回し続ける。これでもか、と回し続ける。そして4日目で予定していたカットは全て撮り終えてしまいました。後は噴火を待つだけになる。と、それは無理という結論に達し、予定より一日早い5日目に下山することになった。

さすがに5日もいると硫黄の臭いがあまり気にならなくなっていたが、気のせいか目が腫れぼったい感じ。

下山用にマサイのポーターが登ってきた。食糧や水(そう、水場がないので全ての生活水は下から持ち上げてきているのです)が予想以上に余ったため、マサイに欲しいものは配り、残ったもので火に燃えるものは燃やし、燃えないものは持ち帰った。特に水は貴重だからと、大切に大切にして使っていたが、余りにもたくさん残ったため、撮影スタッフはみんなで我慢をしていた洗髪を思い切りしていた。

下山で一番難しいのが、あの傾斜のある岩。岩の表面がデコボコしているため、滑ることはあまりないのだが、45度の傾斜を降りるというのは、恐怖である。しかしレポーターも勇気を振り絞っているし、カメラマンはカメラを片手で持って降りている(多分カメラマンはロッククライミングでもやっているのだろう)。これは僕も負けていられない、勇気を出して引きつった笑顔を見せて、足が震えているのを隠しながら降りていく。岩場を抜ければ、後は小走りでラクラク。麓に車に全員無事下山してくることが出来た。良かった、誰も落ちなくて。

翌日、久しぶりの街アルーシャへ戻る。

仕事を終えて

撮影スタッフ、ドライバー、コック達とレンガイ山