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マハレ山魂国立公園・チンパンジー撮影

 

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25年以上続いている「どうぶつ奇想天外」のチンパンジー撮影コーディネートをすることになった。

この仕事、 これまで何人かのコーディネートを流れ流れて、私のところに来たのだ。紹介してくれたのは、去年までコーディネーターをしていた、ケニヤ在住ヒゲの石川さん。今年やらない理由は、病気で足腰が弱り、もうチンパンジーを追いかけられない、ということ。この仕事のコーディネーターは怨まれているのだろうか、と一瞬不安に思ったが、野生のチンパンジーを見れるのと、もちろんお金も必要なので、即座にOKを出す。

まずは撮影隊が来る前に買出しを。撮影隊は僕を含めて4人。その他に9人の現地人助っ人がいる。合計13人が一ヶ月間、自炊するための食材・日用品の買出しは半端な量ではない。町はキゴマというタンガニーカ湖畔にある。宿のスタッフに助けてもらいながら、買い物リストを手に、町中 のお店や市場を行ったり来たり。二日間みっちりと使い、買出しを終える。

一息つく間もなく、今度は船への積み込みが始まる。全長10mほどの平底ボートに次々と荷物を運ぶ。これが予想以上の重労働だ。特にガソリンを入れたドラム缶を船まで持ち上げるのが大仕事。ドラム缶に穴が開くのではないか、と思うほど船にぶつけながら、やっとこさ積み込む。船員や宿のスタッフなど、総勢7名で5時間。全ての荷物を運び終わったのが、午前2時をすぎていた。夜中に積み込むのは、荷物が盗まれないように、ボート内に置いておく時間を少なくするため らしい。

と言うことで、休む間もなくまだ真っ暗の午前4時に出発。ボートの真ん中は荷物で満杯なので、縁につけてある板の上が僕達の席。横になり、星を眺めながら進んでいく。海はとても穏やかで、波がほとんどなく、とても順調な出発。買出しで忙しかったこの数日を思い出しながら、これから出会う撮影隊や野生のチンパンジーに想いをめぐらせていると、いつの間にか眠っていた。

足元が濡れるのを感じて、目が覚める。まだ薄暗く夜明け前だ。ボートが上下に大きく揺れて、波しぶきというか波そのものが、船の中を直撃していた。よく見ると他の船員達は、みんな僕とは反対側の縁に移っていた。「おいおい、起こしてくれよ」と文句を言いながら、濡れた足をヒタヒタさせながら、反対側へ移動する。とこれが大変な引越し。ボートが揺れるおかげで、なかなかおもうように動けないのだ。それを見かねて、船員の一人が重い腰を動かして、 「しょうがねえなー」という感じで助けに来てくれた。

気が付くと、石鹸を手に持った船員がしきりとガソリンを入れてあるドラム缶をチェックしている。そしてドラム缶の所々に石鹸をこすり付けている。何かの呪いか・・?よ〜く見てみると、こすり付ける箇所から泡がブクブクと出ている。なんだ、ガソリンが漏れている箇所を石鹸で埋めている様子。っと、そんなのでいいのか?ちゃんと埋まるのか?埋まる訳はなく、すぐに石鹸の塊は漏れてくるガソリンで流れ落とされている。だから頻繁にチェックしていたのだ。マハレに着くまでにどのくらい減っているのか、不安だな。しかもその石鹸も洗濯用のだし・・・。

目的地は、マハレ山魂国立公園。キゴマから南へ下った、タンガニーカ湖沿いにある公園。 道路が公園近くまで通っているそうだが、そこから公園まで数十キロの歩きになるので、マハレに来るのには2通りしかない。空と湖。そして大荷物を抱えた僕らには、湖をのんびりとボートで向かう道が与えられたのでした。

(マハレ行きのボート)

日が昇るにつれて、波が高くなりボートのスピードも遅くなってきた。ボートの揺れがすごいため、起きていたら酔ってしまうと思い、僕はずっーと寝続けている。ボートは、岸沿いに沿って のんびりと進んでいく。

ボートのスピードが落ちて、人の話声で起きる。ボートの縁から顔を出してみると、どこかの集落に着いたらしい。家が数軒海岸沿いに建てられていて、その数軒の数に合わない多くの人がビーチを行き来している。浅瀬にはボートがたくさん寄せられているので、ここは他から来た漁師さんたちの溜まり場なのかもしれない。昼飯を買ってくる、と船員の一人がボートを降りていった。その肩にはシャツとズボンが。船員 さんたちは、船の中ではパンツ一丁なのだ。しかし出かける時は、恥ずかしいらしくちゃんと正装して船を降りるようだ。数分後にチャパティーと豆の煮込みの入った袋を手に彼は帰ってきた。僕は宿でランチボックスを用意してもらっていたので、それを食べる。ほんの5分程度の昼食を取り、すぐに出発。まだまだ先は長いらしい。はーっ、と溜め息を打ちながら、また横になる。

日も傾きかけてきた。いい加減にしてくれと叫びたくなる。

前方を見る限り、チンパンジーがいそうな森はないな、と途方に暮れる。「まだ〜?」と尋ねると、船員の一人が前を指している。でもそこは木が少し多いぐらいの丘だ。えっ!あんな所にチンパンジー?そう、僕はチンパンジーはジャングルみたいな森にいるものと決めていたのだ。とにかく目的地がやっとやっと見えたのだ。と喜んでみたが、このスピードであそこに着くには・・・。

日もとっくに落ちて、星空がとてもきれいだな〜、と寝そべりながら見上げていた。午後8時をまわっている。キゴマを出発したのが、いつのことだか思い出せないほど、長〜い一日だな。

マハレ山魂国立公園に到着

夜9時。ボートのエンジンを切り、惰性でゆっくりと砂に乗り上げる。その音を聞きつけて、木々の間から砂浜へ何者かがバラバラと現れ、こちらにやってくる。おっ!チンパンジーか?という訳はなく、公園スタッフや今回僕達を助けるために先乗りしていた現地スタッフだ。

(砂浜から宿へ向かうゲート。後ろがチンパンジーの住む森)

今回の撮影で僕達が泊まる宿は、公園が管理しているものを使うことになっている。改築したばかりという宿は、とてもキレイで広い。中心に食堂とキッチンがあり、その周りに客用の部屋が8部屋囲んでいる。電気も水道も通っていて快適そう。湖からは50mぐらいの距離。

スタッフに手伝ってもらい、積荷を全て宿へ運び終わったのは、午後11時過ぎ。それから簡単は夕食を作ってもらい、かき込んでベットへ倒れこむ。

翌日は、撮影本隊が飛行機!!でケニヤのナイロビからやってくるので、そのお出迎え。再びボートにスタッフと共に乗り込み、公園滑走路へ向かう。そう、ここマハレには車がない、道路がない、でも湖はあるということで、移動は歩きかボートしかないのである。

宿(マンゴハウスというあだ名)から滑走路まで、約1時間弱ぐらい 。ビーチから丘の森へ向かって滑走路が作られている。しかし距離がおもったよりも短い。これじゃ、木に引っかかったり、湖へ突っ込んでしまわないかな、と心配なほどだ。(僕の心配はやはり当たっており、木に翼を当てる事故が多いということ)

撮影隊のチャーター機は、無事に着陸してくれて一安心。ディレクターさん、カメラマンさんとカメラアシスタントさんの3人を連れて、マンゴハウスへ戻る。三人ともこれまでマハレ撮影には、何回も参加しており、現地スタッフとは知った仲である。1年振りの再会をみんなで喜んでいた。

この夜、ちょっとした事件が起こる。皆が寝静まった夜中0時ごろ。部屋の外の騒がしさで、目が覚める。どうも何かについて揉めている様子である。すると、一人の足音が僕の泊まっている部屋に向かってくる。もしかして、泥棒か?それにしては、大声で話して堂々としているな?すると、ドアをノックして「けんじ!事件だ!」と聞き覚えのある声。現地スタッフの一人だが、彼の声が緊張しているのがすぐに分かった。

ドアを開けると彼は手にパンガ(大鉈のようなもの)を持ち、突っ立っていた。「ヤバイ!やられる」と一瞬身を引くと、「近くのキャンプ場で強盗が出た 。まだ近くにいるかもしれないから、起きていろ!」、と興奮気味に彼は言い残し、仲間の集まっている所へ戻っていった。 そこで僕が一番最初にとった行動は、ベットに下に隠してあったバックを引っつかみ、外の薮へ隠しに行くことだった。そのバックは、撮影資金と僕の給料合わせて100万円以上の現金が入っているもの。近くに誰もいないのを確認しながら、薮の中へ押し込んで、部屋へ戻る。少し落ち着くと、この周りには猿がたくさん出てくるのを思い出し、もしかしたらあの猿達に持っていかれるんじゃないのか、と薮に引き返してバックを引っつかみ、再び部屋のベット下に隠すことにした。自分でも変な行動してるな、と分かったいたので、ベットに腰を下ろし苦笑いしていた。

被害にあったキャンプから、被害者達がマンゴハウスまで避難してきていたので、様子を詳しく聞くことが出来た。話によると

皆、ダイニングでおしゃべりをしていた午後11時ごろに、数人の覆面をした強盗が現れて、銃を手に現金を要求してきた。それぞれの部屋まで付いてきて、現金だけを手にすると、すぐに森の中へ消えて行った、ということ。

しかしまあ恐い思いをしたにしては、皆元気そうにその話を何度も何度も自慢気に僕らに聞かせてくれていた。被害金額もたいしたことないんだろうね。僕らには被害額がいくらなのか教えてくれなかったが。とはいえ、銃を持った強盗というのはあなどれない。こちらも見張りを立てて、朝まで警戒していた。

結局強盗は、森の奥へ歩いて逃げたか、湖からボートで消えうせたか、消息は分からずじまい。被害者達も早々に自分達のキャンプ場へ戻っていった。その後この事件がどうなったのか、多分どうにもならなかったのだろう。

着いた早々の強盗騒ぎで、調子が狂ってしまったが、仕事は仕事。チンパンジーを撮らないことには話しにならない。

チンパンジー捜索の方法を説明します。

チンパンジーは木の上に、葉っぱや枝でベットを造り、そこで一夜を過ごします。ということで、前日どこで寝たか知っていると、翌日すぐにチンパンジーを見つけることができる。しかしすぐにチンパンジーはそこから食べ物を探しに動いてしまうので、朝早くに彼らと接触しておかないといけない。マンゴハウスからすぐ近くに寝てくれたらいいけど、時には遠く離れた場所で寝てしまい、そこまでいくのに徒歩で2時間以上は掛り、撮影前に皆疲れてしまう。そのために先発で現地スタッフを一人朝早く行かせることになる。彼と無線でやりとりをして、チンパンジーの居場所を確認してから、撮影隊はゆっくりとそこを目指していくことになる。

撮影隊は8人体制。チンパンジーの達人で現地スタッフの長老ニュンドさんが撮影隊をリードする。そしてディレクター、カメラマン、技術さん、僕と現地スタッフの荷物もち3人(カメラ、三脚、テープ・バッテリー)の構成。チンパンジーを見つけると、ニュンドさんに連れられて、カメラマンがチンパンジーに近づいていく。その間僕達は後ろで後方待機である。チンパンジーを見に来ているのは、僕達だけでなく、一般の旅行者も来ており、更にチンパンジー研究者もくっついている。そうなるとまず旅行者が優先される。その後を撮影と研究者が一緒に場所取りで争いながらチンパンジーを狙う。そうなるとカメラマン以外は邪魔なので、僕達は後ろで待機となるのである。

(撮影風景。真ん中の女性の足元にチンパンジーのお尻が)

しかしここのチンパンジーは本当に人に慣れている。私達を無視して行動している。もちろん目では見えているから、チラッとこちらの様子を気にすることもあるが、それぐらいである。犬猫のようにじゃれついてこないのが、かろうじて残る野生動物の誇りなのか。

撮影で追っかけているグループには、20〜30の個体がいる。現地スタッフやディレクターさんなどは、全員のチンパンジーを個体識別できており、撮影中も「何が今こちらに向かっている」などチンパンジーに付けられた名前が飛び交っている。しかし僕には体の大小ぐらいしか、分からないので、少々皆から置いてけぼりくらった感じがした。

チンパンジーが人間に近いという。僕もそうかな?と感じた時がある。

まずは子供。可愛いというのは動物の子供全てだが、チンパンジーの子供は行動が僕の息子と似ているのが可笑しい。小枝を手に持ち、地面や木の幹をバンバンと叩いている姿(更に息子は僕も叩いてくるのが、チンパンジーより進歩している点?)。大人の背中にジャンプして乗ったり降りたりしている姿。細い蔓を登ろうとして、危ないからか大人チンパンジーに無理矢理下ろされても、またすぐに登ろうとする姿。どこでも子供は無邪気で、親は大変だ。

群れを追い出された、元ボスのチンパンジーに出会ったときもフッと人間味を感じた。彼は追い出された後も、このグループがいる森に住み続けている。しかしグループメンバーに出会うと虐められるので、出会わないように逃げ回って暮らしている。ある日、彼が川のほとりの岩にポツンと座りこみ、空を見上げているのに出会った。背中には群れを追い出された時に負った深い傷跡が痛々しい。何考えているのかな?と彼の目を見ていると、近くでグループの鳴き声が。ハッという感じで、鳴き声の反対方向へ逃げていく。昔、ボス時代の輝かしい日々でも思い出していたのかな、と勝手に解釈してみた。

そしてチンパンジーが人間に近いと思う理由の第一位は・・、糞。雑食だからなのか、臭いが人間のものとそっくり。これがクセモノであり、、道端にあるものを踏まないように歩くのが大変。撮影休憩で座っていると、「うん?」臭いがぷ〜んと漂ってくる。今度は誰だ!と皆自分の靴裏を確認するのが、お決まりになっている。

さて、チンパンジーがいつも近くにいてくれる保証はない。時には私達の体力ではたどり着けない森の奥深くへ行ってしまうこともある。そんな時は潔く、撮影中止である。ここで苦労して運んできたガソリンの出番である。船のエンジンにガソリンを補給して、釣り竿を担いでタンガニーカ湖へいざ出航である。日本人組は竿を、タンザニア人組みは釣り糸と針での対戦、と思いきや全く相手にされず。器用に手で糸を操り魚をおびき寄せて、グッと針に引っ掛けている。だから針の役目は、餌を食わせるのではなく、魚を引っ掛けるためのものなのだろう。10cmくらいのものから、40cm以上はあろう大物まで、大漁である。それを恨めしそうに見ながらも、とりあえず今夜のおかず獲得で一安心。詳しくないから正確ではないが、多分ニシンの仲間の魚なんだろう。ホイル焼きにして、さっそくいただきます。うっ、生臭い。

そう、今回雇ったコックさんは・・。料理がとても下手でした。この時ほど食事がどんなに大切なものか痛感したことはありませんでした。一日中チンパンジーを追っかけて、疲れ果てて戻ってきます。お腹もペコペコだけども、夕食が楽しみでないのが、どんなに苦痛なことか。途中から見かねたディレクターの松谷さんが仕事で疲れているだろうに、台所に立ってくれました。松谷さんのお陰で、何とか撮影を終了することが出来たのでした。

マハレのチンパンジーと言えば、京都大学の霊長類研究所が長年調査を続けているのでも有名。テレビにもよく顔が出てくる西田教授という方がいます。私も何回かお会いしたことはあるのですが、あちらは全く覚えていない様子。しかし研究者の熱心さはすさまじいものがあるな、と西田さんを見ていて思いました。ビデオ片手に一日中チンパンジーを追いかけている。崖であろうと、薮であろうと、あの臭い糞を踏んづけても、とにかくチンパンジーだけを捉えている。だからよくカメラ内にも入ってきて、「あ〜、何だよ」とカメラマンさんに陰口を叩かれていてもお構いなしで、自己の研究に捧げている姿は逞しいね。でも靴底が剥がれたら、気付くくらいの心の余裕を持つのも悪くないのでは?

キリマンジャロ登山ガイドの仕事が入っていたため、僕は撮影終了数日前にマハレを離れることになっていた。入れ替わりにヒゲの石川氏が引き継いでくれる。

最終日の朝。撮影隊を見送り、マハレの滑走路へ船で向かう。そう!帰りは飛行機に乗っていけるのだ。10人乗りのプロペラ機に乗り込み、この3週間を思い起こしていた。離陸!とっ、木に翼が当たりそう、当たるぞ、かすった!という感じでマハレを後にしたのでした。やはりあの滑走路は短いと思うけども。

<追記>

2006年の撮影は中止した。普段なら10月前後にやるのだが、来年に持ち越されることになった。その理由がマハレのチンパンジーに風邪が流行しており、撮影隊は断られたのだ。しかし旅行者にしても、接触する人の数が多いと思うよ。

(右隅の岩にチンパンジーが一頭!だけ。そしてこのカメラの数)